三井三池炭鉱で炭塵爆発が起きた。死者458名、一酸化炭素(CO)中毒患者839名。戦後、最悪の炭鉱事故・労災事故だった。有明高専開校の年で、私は中学3年生。それから60年経った。
 高専4年生の夏。CO中毒患者の救済を盛り込んだ特別立法制定に向けて「三池の半未亡人」といわれた妻たち75人が坑内に入った。真っ暗な坑底での6日閲の命がけの座り込みに私は圧倒された。
 〈ぼくだったら、どうするのか〉
 後遺症に苦しむ家族を抱え、長く続く人生の重さを引き受けられるだろうか。ひょっとしたら、逃げてしまうかもしれない。
〈たった一度の人生。もっと世界を見て回りたい、という衝動を抑えきれないかもしれない。ぼくは卑怯者だろうか〉
 18歳のときの心の揺れが懐かしく思い出される。 
 歳月は流れ、爆発か57年目にしてやつと「三川坑炭塵爆発慰霊碑」が建立され、死者全貴の氏名が刻まれた。今秋、大阪で開かれた60周年集会で音楽劇「黒いかがやきの道ー女たちの144時間座り込み」が上演ざれ、理不尽な人生を強いられた妻たちが舞台の上によみがえった。ふと、インディオの諺が脳裏をよぎった。
「勝つことを知ってい者は
 富や権力や名誉を手に入れる
 敗れることを知っている者は
 天と地と海を手に入れる」
 人が強者に憧れることは否定しないし、それもいい。逆に、弱きことを知りながら生き続けることには勇気がいる。家族の苦しみや悲しみを受け止め、彼女たちは「三池」を抱きしめるかのように生きた。勝つことも敗れることもなく、見ることに徹してきた私はいったい何を手に入れたのだろうか。ただ、地底で涙をながした人々を思いやれる感性だけは、いつまでも失わないでいたい。
(2023年12月1日)