2022年5月31日火曜日

技術する生命

 技術する生命

 「人間を超える知能を持つ…機械の出現ではなく、人間の知性が…機械のようにしか作動しなくなることをこそ恐れるべきだ」ー
 最近、読書会でとりあげた『計算する生命』(森川真生著)にあった印象的な言葉だ。前著『数学する身体」で、数学を通じて人間の「心」に追った著者は、この本で数学の歩みをたどりながら、人工知能の進展をめぐる「技術と人間」の問題を考えさせる。
 もし若いころに読んでいたら数学嫌いにならなかったかも、と勝手な妄想に浸っているうちに、高専の時の数学教師、井上盟朗先生の授業がふと浮かんだ。微分積分の時間に、朝永振一郎のエッセイを活々と読んで聞かせてくれたのだ。朝永がノーベル物理学賞を受賞した1965年に刊行された『鏡のなかの世界」。内容は忘れたが、題名はしっかりと記憶に刻まれている。
 井上先生は九州大学数学科を卒業後、県立熊本高校で8年間教壇に症ち、新設の有明高専に赴任された。受験数学とは異なる数学の楽しさを教えたいと思われていたのかもしれない。研究業績には、「高専における確率統計教育の問題点」や一線型ノルム空間に於ける原点と超平面の距離公式の一つの証明」という難解そうな論文がある。高専在職中、47歳で亡くなられたが、細い体で、いつも静かに微笑んでおられた姿がなぜか懐かしい。
 多彩な数式の背景にある広大で、深い世界。そのことを井上先生は伝えたかったのかもしれない。人を計算機に近づけるかのような受験勉強とは異なり、いまでも高専ならではの創意工夫に満ちた教育が行われているだろう。先の本にはこうも書かれていた。
 「人はみな、計算の結果を生み出すだけの機械ではない。かといって、与えられた意味に安住するだけの生き物でもない。計算し、計算の帰結に柔軟に応答しながら、現実を新たに編み直し続けてきた計算する生命である」
 ウイルス、地球温暖化などの難題を入はどのように認識し、現実を切り拓いていくのか。人は「技術する生命」でもある。詰め込みや効率にとらわれず、広く、深く考える高専教育でありたい。
(2022年6月1日)

0 件のコメント:

コメントを投稿