僕は忘れたくない
「いま考えていること、感じている気分を忘れてはいけない」
いち早く感染爆発を経験したイタリアの作家、パオロ・ジョルダーノさんは新著『コロナの時代の僕ら」(飯田亮介訳、早川書房刊)で繰り返しそういっている。素粒子研究で理論物理学の博士号も持つ作家による2月29日から3月20日までの生々しい思索は「世界初のコロナ文学」として評判を呼んでいる。
「僕はこの空白の時間を使って文章を書くことにした。(略)この感染病が僕たちに対し、僕ら人類の何を明らかにしつつあるのか、それを絶対に見逃したくないのだ」
つい先日まであたりまえだった日常はもろくも崩れ去った。劇場や音楽ホールは閉ざされ、不要不急の芸術は危機にさらされている。文学はいま、何ができるのか。国民一丸となって、といったときに、こぼれ落ちるもの、見逃してしまうもの。そういった小さい声をひろうのは作家の役割でもある。
感染症による災禍は、多くの文学作品のテーマとなった。ボッカチオの『デカメロン』やカミュの『ペスト』では黒死病が描かれ、トーマス・マンの『魔の山」や堀辰雄の『風立ちぬ』は結核の療養施設を取り上げた。周囲から隔絶された暮らしからわいてくる「直感」をさらすことが大事だ、とジョルダーノさんはいう。(2020年4月13日毎日新聞夕刊)
戦争が終わると、誰もが急いで忘れようとするが、病気にも似たようなことが起きる。苦しみは、普段であればぼやけて見えない真実に触れさせ、物事の優先順位を見直させる。なのに、回復がなったとたん、そうした天啓はたちまち煙と化してしまう。
「僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそあることを」
コロナ禍が去った後、私たちは何を捨て、何を残すのか。パンデミックという国境を越えた脅威によって、国家の復権と各国の権力闘争が展開されるのか。それとも国際協調が進むのか。いま、本当に大切だと思えたことを忘れないでいたい。(4月24日記)
(2020年6月1日)
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