「ド、ドーン」。1963(昭和38)年11月9日(土)午後3時12分。国鉄(現JR)荒尾駅前で自転車店を営む自宅の2階で寝転んで本を読んでいると、大音響とともに家がグラリと揺れた。家を飛び出すと、小高い四山公園の向こうで真っ黒な煙がキノコ雲のように噴き上げていた。
三井三池炭鉱で炭塵爆発が起きた。死者458名、一酸化炭素(CO)中毒患者839名。戦後、最悪の炭鉱事故・労災事故だった。有明高専開校の年で、私は中学3年生。それから60年経った。
高専4年生の夏。CO中毒患者の救済を盛り込んだ特別立法制定に向けて「三池の半未亡人」といわれた妻たち75人が坑内に入った。真っ暗な坑底での6日閲の命がけの座り込みに私は圧倒された。
〈ぼくだったら、どうするのか〉
後遺症に苦しむ家族を抱え、長く続く人生の重さを引き受けられるだろうか。ひょっとしたら、逃げてしまうかもしれない。
〈たった一度の人生。もっと世界を見て回りたい、という衝動を抑えきれないかもしれない。ぼくは卑怯者だろうか〉
18歳のときの心の揺れが懐かしく思い出される。
歳月は流れ、爆発か57年目にしてやつと「三川坑炭塵爆発慰霊碑」が建立され、死者全貴の氏名が刻まれた。今秋、大阪で開かれた60周年集会で音楽劇「黒いかがやきの道ー女たちの144時間座り込み」が上演ざれ、理不尽な人生を強いられた妻たちが舞台の上によみがえった。ふと、インディオの諺が脳裏をよぎった。
「勝つことを知ってい者は
富や権力や名誉を手に入れる
敗れることを知っている者は
天と地と海を手に入れる」
富や権力や名誉を手に入れる
敗れることを知っている者は
天と地と海を手に入れる」
人が強者に憧れることは否定しないし、それもいい。逆に、弱きことを知りながら生き続けることには勇気がいる。家族の苦しみや悲しみを受け止め、彼女たちは「三池」を抱きしめるかのように生きた。勝つことも敗れることもなく、見ることに徹してきた私はいったい何を手に入れたのだろうか。ただ、地底で涙をながした人々を思いやれる感性だけは、いつまでも失わないでいたい。
(2023年12月1日)
(2023年12月1日)