2019年5月31日金曜日

歴史の「縦糸」

 歴史の「縦糸」

 新元号のもとで時代が流れていけば、平成、昭和の記憶は日々遠のいていく。それだけに平成のうちにどうしても、と有明高専時代の恩師、棚町知彌先生の評伝を書きあげたかった。
 なんとか間に合って4月、『読書と教育-戦中派ライブラリア
ン・棚町知彌の軌跡』という題で刊行できた。
 棚町先生は、私より2回り上の丑年。作家の三島由紀夫とおなじ1925(大正14)年生まれ。14馬遼太郎(作家)より2つ下、吉本隆明(思想家)よりーつ下にあたる。有明高専には開校時から13年間勤められ、2010年7月に逝去された。享年84。
 この欄でも何度が紹介しているが、在校時には読書や高専教育の可能性を熱く論じ、多くの卒業生に強烈な印象を残している。かつてこの学園でもささやかな"紛争"があり、師事していた先生と私はいったん決別した。
 卒業から20年後、関西の女子大学の近松研究所初代所長になられた先生に新聞記者として再会。それから有明高専で生じた師弟の細い糸が再びつながった。
 その晩年に聞いたエピソードの数々にはすっかり驚かされた。皇国少年から占領軍の検閲官、数学から国文学、北海道大学から九州大学、工業教育改革から近松門左衛門の研究……。神道・戦争・敗戦・占領軍・検閲と、まるで昭和史の急所に触れて生きるような揺れ幅の大きい人生だった。
 皇国少年として「”洗脳”された」側から戦後、GHQ検閲に日本人スタッフとして「軍国主義下にあった日本人を”洗脳”する側」に転身。GHQによる"洗脳"が成果をあげ、戦前の天皇と臣民の関係は米国と日本の関係にすり替わっていく。その後の政治動向に見え隠れする「第3の”洗脳”」を先生は憂いていた。
 日本の近代史が重なっている先生の人生行路をどう受け止めるのか。それはそのまま、私がどう生きたか、も問われてくる。自分の頭で考えろ、と熱く語った先生の芯にあったのはなにか。その時代精神を受け継ぎ、歴史をつなぐ「縦糸」をどう紡いでいけるのか。恩師の人生を〈旅〉しながら、そのようなことを考え続けた。(2019年6月1日)