足元を掘るー三池炭鉱閉山20年
三池炭鉱が閉山して今年3月で20年の歳月が流れた。これを機に熊本大学の学生たちが報告書「三池炭鉱地域の記憶、世界の遺産2016」をまとめた。「炭鉱の町の歴史を記憶しつつ、町の在り方を考えるきっかけにしてほしい」とインタビュー調査したもので、その中に有明高専の学生418人を対象にしたアンケー
ト調査もあった。
「学校で三池炭鉱について学んだ経験がない学生は88%。三池炭鉱について知っていることの記入を求めたところ、90%が無回答」
それって、ほんと。新聞記事に書かれたその数字が信じられなかった。三池炭鉱跡が世界文化遺産に登録されたのに、後輩たちにとって炭鉱は無縁の存在になろうとしているのだろうか。
考えてみれば、炭鉱は学生たちが生まれる以前のこと。遠い過去になろうとしている炭鉱にこだわる私は、それだけ老いたということなのかもしれない。
有明高専が開校した1963(昭和認)年の11月8日、三池炭鉱三川坑で炭塵爆発が起きた。死者458人、CO中毒の被害者839人。戦後最大の炭鉱事故だった。その翌春入学した私たち2期生のなかには、この惨事で家族を失った級友がいた。
それから半世紀がとっくに過ぎた。今春、荒尾に帰省し、孫たちを連れて万田坑公園を訪ねると、瀬戸洋先生がいた。私が高専3年生のとき、独語の新任教師として着任した若々しい先生は定年退職後、炭鉱のボランティアガイドとして汗を流していた。
「先生、あのね」と一瞬、アンケートのことを話そうかと思ったが、やめた。そのようなことは先刻承知のことだろうし、がっくりした顔を見たくなかったからだ。
日本一の炭鉱だった三池炭鉱跡には、現在に至る日本社会の来た道が埋もれている。「三池を掘る」ということは「日本を掘る」こと。過去を見つめ、対話を重ねてこそ未来もまた見えてくる。有明高専の足元に未来を見つめる「坑道」がある。(2017年6月1日)