2015年11月30日月曜日

いま、技術者倫理の教育は

 いま、技術者倫理の教育は

「彼女は女性であった。彼女は被圧迫国民のひとりであった」

 ラジウムを発見した物理学者、マリー・キュリー夫人の娘、エーブ・キュリーによる「キュリー夫人伝」の冒頭の一節だ。高専に入学して最初の国語の時間は、その「キュリー夫人伝」の朗読から始まった。
ちょっと部厚いその伝記は傷んではいるものの、いまも私の書棚にある。
 読んだのは東京五輪の年、敗戦から19年目だから教師たちには戦争の記憶がまだ鮮明だった。科学者としての人生、科学と平和の問題について初めて考えさせられ、忘れられない本だ。
 国語の担当は棚町知彌さん(故人)。細い体に怒り肩。鋭い眼光。教室の廊下を歩くときは、本を小脇にはさみ、ひょいひょいといくぶん飛ぶように急ぎ足だったから、私は「カマキリ」とあだ名をつけていた。読書を通して視野を広げることを熱く語っていた。
 約1カ月近くかけて「キュリー夫人伝」を読了。元東大学長、矢内原忠雄の「余の尊敬する人物」(岩波新書)を取り上げ、「教育とは何か」「学校の理想」について語りあい、夏目漱石の「三四郎」、杉田玄白の「蘭学事始」、幸田露伴の「五重塔」と続いた。試験は読書感想文で、いわば国語を通しての技術者教育だった。
 高専3年のころ、伊藤整の「氾濫」も勧められた。49歳の企業研究者を主人公にした小説だ。「コツコツと地道に研究を続ければ、突然、大きく花を咲かせることがある」と棚町さんは強調していたが、社会の
裏側で渦巻く人間のすさまじい欲望に圧倒された。
 いま、フォルクスワーゲンからマンション建設までデータ改ざんをめぐる問題が噴出している。グローバル化する企業社会のなかで、一人の人間としての判断力、倫理観はどのように保たれているのか。企業内の研究者、技術者の職業倫理が改めて問われている。
 「高専教育の有利さを生かし、読書を通して社会に広く目を向ける大切さを伝えたかった。だけど、実際、あれでよかったのだろうか」
 高専を卒業して約20年後、再会した棚町さんは"棚町式国語教育"の功罪を振り返っていた。技術者倫理をめぐる教育は高専でいま、どのような形で行われているのだろうか。(2015年12月1日)