かつて「総資本対総労働の闘い」を担っていた三池労組は組合員十五人になっていた。最後の入坑日となった二十九日は、一九六〇年の「三池争議」で暴力団に刺殺された炭鉱マン、久保清さんの命日で、旧四山坑(熊本県荒尾市)近くにある慰霊碑で開かれた労組主催の追悼集会に行き、懐かしい組合歌「炭掘る仲間」を聞いていると、なぜかアフリカの民話が浮かんできた。

 アフリカの奥地に住むある部族は、塩がなくていつも困っていた。塩を得るには、周りの敵対する部族の間を抜けて海岸まで行かなくてはならない。そこであらかじめ何人かが殺されることを見越したうえで、多くの若者が出ていく。
 敵対する部族との闘いを経て、海にたどりついた何人かが、海水を身体から塩分が噴き出すくらいに飲んで、集落に走って戻る。仲間が倒れても、そうやって塩を持ち帰る…。

 生きるということは、そんな塩を運ぶような無償の行為で、汗の中に残された塩こそが人間集団の生存に欠かぜないのだ、とその民話はいっている。いいかえれば、時代から追われゆく炭鉱マンの汗と塩の結晶こそが、私たちの歴史にとっても欠かぜなかったものかもしれない。
 早咲きの桜とともに百二十四年の炭鉱の歴史を終えた郷里ではいま、緑が萌え、やがて夏がくる。炭鉱を離れた人たちは人生の再出発に向けて新たな汗を流している。
 子供のころから見慣れたあの元気いっぱいの炭鉱マンたちは、幻の彼方に走り去ってしまった。
 (1997年6月1日)