「近松力ラオケ」はとっくに千回を越えたよー。園田学園女子大学近松研究所(兵庫県尼崎市)所長、棚町知弥さんは電話口で元気そうに語っていた。各地の市民講座で、近松門左衛門の戯曲の名場面を歌うように解説する自称「近松力ラオケ」はいま、月平均二十回を数えるそうだ。
「小さな私学でも日本一の研究所ができる。近松で日本一であれば、世界一の近松研究所になる」
そんな夢を抱いて棚町さんが国立国文学研究資料館の研究情報部長を定年退官後、近松研究所をスタートさせて七年。聴講生による組織「近松応援団」も結成され、「近松連」の旗まで作って国立文楽劇場などへそろって出かけている。
有明高専の草創期、棚町さんは国語の時間でいつも小説を朗々と読み、私はその名調子に聞きほれた。試験は読書感想文。三年間の国語の授業の総仕上げは、マルタン・デュ・ガールの大河小説「チボー家の々」を読みとおすこと。いま思えば信じられないような国語の授業だった。
一時、学生主事と学生会長という立場で対立し、棚町さんから「あのとき心労のあまり西鉄電車の網棚に重要な研究資料を置き忘れ、大変な目にあった」と後に聞かされ、悪いことをした気にかられた。
あれから30年近くなる。不思議な縁で、毎日文化センターにも棚町さんに来てもらっている、あの名調子が同じビル内の文化センター教室(二階)から私の席(十五階)まで伝わってくるようにふと思えるときもある。耳では聞こえない遠い声で「ちゃんとした文章を書けるようになったか」と言っているかのように。先生はいつまでたっても先生だ。
電話の向こうで「今夏、ひさしぶりに高専の図書館に行ってみるよ」と懐かしそうに語る棚町さん。授業後いつも、一般棟三階にあった旧図書室の窓口にいた棚町さんの姿が甦り、一瞬、私も青春の日々に吸いよせられた。(1996年6月1日)