〇三枚の葉書ー
「やっぱり高専をやめることにしました」
S君から突然、三枚の葉書が舞い込んできたのは、一九七〇年の春、三月だった。もうはるか昔
のことだが、全国の大学でわき上がった学生運動の息吹は萩尾坂にも押し寄せ、有明高専でも「表
現の自由」「不当処分撤回」などを求めて、校門前で学生によるハンガーストライキなどが繰り広げ
られた。その輪の中にS君はいた。
私は、その前年の春、電気工学科を卒業して早稲田大学政経学部に進学。東京・目白の田中角栄邸近
くにあった熊本県出身者のための学生寮「有斐学舎」で、自分をつかみかねて、悶々とした日々を過
こしていた。
S君は、高専の学生会でいっしょに活動した一期下の後輩。その三枚連続で同時に配達されてきた葉書を読み、胸を突かれる思いがした。卒業式を数日後に控えての自主的な退学。彼にしてみれば改めて手紙を書くとなるとジメジメしてしまう。単に高専退学を通知するつもりでも、葉書一枚にはとても書ききれない。結局、思いがつのり、葉書三枚にわたってその心情を吐露していた。
その後、S君は公務員試験を受けて建設省に入り、筑波の土木研究所で研究生活に没頭。数年前、東北大学で工学博士号を取得し、いまは、建設省から離れ、コンサルタント業のほか東海大学講師も務めている。
「あんな昔のこと、もう忘れてくださいよ」
このコラムを書くために電話をかけると、S君は戸惑っていた。「ぼくにとっては、忘れられない
ことだけど」。だが、やはりここに彼の事を明記しておこう。境友昭君、機械工学科三期生として
入学。卒業を「拒否」したために、同窓会名簿にその名はない。(1995年12月1日)